総合芸術としてのバレエ「バレエ・リュス」~薔薇の精~

フランスではロマンティックバレエが衰退した後に

ロシア出身の興行師セルジュ・ディアギレフが率いる

バレエ団「バレエ・リュス」Ballets russesの

時代が始まります。

 

1909年「バレエ・リュス」はパリのシャトレ劇場で

旗揚げをしてから、

1929年に解散するまで、

パリを中心として活動し


「総合芸術としてのバレエ」という、

それまでなかった芸術スタイルを確立しました。


ディアギレフは一流のダンサーと振付師

デザイナー、作家、画家、音楽家を起用することで

バレエを時代の最先端をいく芸術ジャンルに変えたのです。


3年目にはいったバレエ・リュスは

1911年4月19日にモンテカルロ歌劇場で

『薔薇の精』(Le Spectre de la Rose)を発表しました。


初演時の公演ポスターを描いたのはジャン・コクトー。

このポスター見覚えがある人はいませんか?

YURIバレエの更衣スペースに飾ってありますよね。


「薔薇の精」は

ジゼルの台本を書いた作家で

カルロッタ・グリジに片思いをして失恋したあの

テオフィル・ゴーティエの詩

「わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた」

を題材に創られました。

詳しくは「ジゼル」片思いとロマンティック・バレエの終焉をご覧ください


振付はミハイル・フォーキン

美術と衣裳はレオン・バクスト

音楽はカール・ウェーバーの『舞踏への勧誘』


この時代バレエ用の音楽ではない曲に、振付られたバレエはほとんどありませんでした。

ウェーバー作曲の舞踏への勧誘に振り付けたフォーキンは

ショパンのピアノ曲で即興的に踊ったイサドラ・ダンカンから

影響を受けています。


詳しくはイサドラ・ダンカンがバレエに与えた影響をご覧ください

(バクストによるニジンスキーの衣裳デザイン)


そして

ヴァーツラフ・ニジンスキーが薔薇の精を

タマーラ・カルサヴィナが少女を

踊りました。


今もなお「伝説のダンサー」でありつづけるニジンスキーは

当時からファンに「追っかけられる」ほどの

アイドルなみの人気ダンサー。


「薔薇の精」は

バレエ・リュスの人気演目の一つとなりました。


今も世界中のバレエ団のレパートリーとして

踊り継がれています。



あらすじ

舞踏会から帰ってきた少女が疲れて椅子でうとうとと眠りに落ちます。

夢の中では、少女が胸に飾っていた薔薇の花の精があらわれて踊りに誘います。

踊っているうちに夜が明けて薔薇の精は去ってゆきました。

少女が目を覚ますと床には薔薇が落ちていました。すべては夢だったと気づき

少女は薔薇をひろいあげるのでした。



参考文献:

華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界 海野弘著

バレエ・ヒストリー 芳賀直子著

YURI ecole de ballet contemporain

ユリ・エコール・ド・バレエ・コンテンポラでは ひとりひとりの個性を大切に 基礎を大切に クラシックバレエと コンテンポラリーダンスの 指導をしています