「ジゼル」片思いとロマンティック・バレエの終焉

「ラ・シルフィード」とならぶ

ロマンティックバレエの代表作に

1841年にパリ・オペラ座で初演された

「ジゼル」があります。

(パリオペラ座バレエ団)


テオフィール・ゴーティエによって

書かれた「ジゼル」の台本は

「村娘のジゼルが恋する男性の裏切りを知り、

そのショックで命をおとしますが

精霊ウィリになり愛する男性を守る」 という

ロマン主義の時代を象徴するようなストーリーです。


(テオフィール・ゴーティエ)


 テオフィール・ゴーティエはフランスの劇作家・詩人・評論家で

「レ・ミゼラブル」の原作者ヴィクトル・ユーゴーと出会って

ロマン派の先頭に立って活躍した人で、バレエの評論家でした。

 

 ゴーティエのバレエ評論は、現代の感覚で読むのは厳禁で、

19世紀ロマン主義の時代はこんな感じだったのだろう、、と

想像力をたくましくすることが必要です。


 たとえばこんな風です。。。


「まず彼女の体つきから語ろうではないか。そして、

次に語られるべきことは才能ということにして」


「背が高く、やせていて、骨細で、プロポーションも美しいが、

あの張り付いたようなスマイルをやめたら、もっときれいなのに」 

(ジゼル1幕の衣裳を着たカルロッタ・グリジの版画)


そのゴーティエが30歳の時に、初演でジゼルを踊った

21歳のカルロッタ・グリジへの「愛の証」として

「ジゼルの物語」を捧げるのですが、

グリジは「ジゼル」の振付をしたジュール・ペローと

結婚してしまいます。


ゴーティエの恋は片思いに終わります。

(ジゼル第2幕のカルロッタ・グリジの版画)


 カルロッタ・グリジはイタリア出身のダンサーで、

7歳の時にミラノ・スカラ座の舞踊学校に入学します。

 早くから才能をみとめられ、14歳でイタリア各地を巡演するようになり、

16歳の時にナポリでダンサーで振付家のジュール・ペローと出会うのでした。


 一目でグリジに心惹かれ、その才能を見抜いたペローは、

教師として彼女の成長を手助けしながら公私ともにパートナーを組み

イタリア各地やロンドン、ウィーンなどで踊ってきた後に、

グリジのためにパリ・オペラ座との契約を獲得して、

「ジゼル」でグリジの踊りの大部分を振付けたのでした。


どうやら初めからゴーティエに勝ち目はなかったようですね。


(カルロッタ・グリジとジュール・ペローの版画)


ただし、恋敵のジュール・ペローのことをゴーティエはとても誉めています。


「静かな敏捷さ、完璧なリズム、そしてゆったりとした優雅さ。

 ペローは軽やかさそのもの、ペローは空気の精、

ペローは男性版マリー・タリオーニだ!」

(エドガー・ドガ「バレエのレッスン」(1874年)の中に年老いたジュール・ペローが

オペラ座のダンサーに指導をしている姿が描かれています)


 

 ロマンティック・バレエ時代は、女性ばかりがバレエの中心になり、

やがて、男性役すら女性ダンサーが踊ることも頻繁になり

活躍の場を失った男性ダンサーの多くはロシアへ渡ります。

 当時のオペラ座の観客の多くは裕福な男性で、

ダンサーの多くは貧しい家の娘達でした。

エドガー・ドガ「舞台稽古」(1874年)には、

ダンサーの中から愛人を選びにきた男性が、

ふんぞりかえって舞台稽古を見ている姿が描かれています。


1870年の「コッペリア」初演を最後に

フランスのロマンティック・バレエは衰退してゆきました。


 19世紀の初め「ロマンティック・バレエ時代」

バレエはフランスで繁栄して、

現在のバレエの基礎のスタイルが確率されました。 


 そして次の時代がやってきます。

バレエの活動の中心はロシアへと移ってゆくのでした。

参考文献:

バレエの魅力 マーゴ・フォンテーン著

帝室劇場とバレエ・リュス 平野恵美子著

バレエ・ヒストリー 芳賀直子著


YURI ecole de ballet contemporain

ユリ・エコール・ド・バレエ・コンテンポラでは ひとりひとりの個性を大切に 基礎を大切に クラシックバレエと コンテンポラリーダンスの 指導をしています